【みいちゃんと山田さん】11話あらすじから結末まで全てネタバレ解説

【みいちゃんと山田さん】第11話をネタバレありで解説する
第11話のタイトルは「小学生みいちゃん」。物語は1996年に遡り、みいちゃんの小学校時代が描かれます。彼女がなぜ学校や勉強に強い拒絶反応を示すようになったのか、その原体験が痛々しくも詳細に語られる、非常に重要なエピソードです。
いじめと屈辱の小学校生活
小学1年生のみいちゃんは、学校で孤立していました。授業では簡単な足し算も答えられず、担任の剛田先生は彼女を笑いものにします 。先生はみいちゃんの独特な服装や寝癖をからかい、クラスメイトの笑いを誘うのでした 。こうして、みいちゃんは教師主導のいじめの標的となっていきます。
算数のテストで0点を取ってしまった日、家に帰ると母親は激怒します 。しかし、その怒りは娘の学力を心配してのものではありませんでした。「だって先生のことキライなんだもん!」というみいちゃんの言葉から、母親は娘がわざと0点を取ったのだと思い込み、一方的に叱りつけるのです 。先生やクラスメイトからいじめられているという、みいちゃんの訴えが母親に届くことはありませんでした 。
新しい先生との出会いと、一筋の光
物語は1998年、みいちゃんが小学3年生の時に進みます。そこに、新任の担任として須崎奈々先生がやって来ます 。彼女は、これまでの教師とは全く違う、優しく生徒に寄り添う先生でした。
他の子たちが、みいちゃんが上履きを左右間違えて履いていることや、靴下がばらばらなことをからかっても、須崎先生は「そういういじわるは言っちゃいけません」と毅然と注意します 。そして、みいちゃんのそばにかがみ込み、「靴はつま先が内側を向くように履くんだよ」と優しく教えるのでした 。この出会いによって、みいちゃんは初めて学校を楽しいと感じ、「須崎先生大好きー!!」と心から懐くようになります 。
「善意」が引き起こした断絶
しかし、須崎先生の真摯な善意が、皮肉にも悲劇の引き金となってしまいます。彼女は、保護者面談でみいちゃんの母親に対し、みいちゃんがクラスのムードメーカーであると褒めた上で、専門家の視点から「同年代の子と比べると認知や言語の遅れが見受けられ」ると、正直に伝えます 。そして、みいちゃんの特性に合った教育を受けさせるため、一度検査を受けて「特殊学級」に移ることを提案するのでした 。
この提案に、みいちゃんの母親は激昂します。「ウチのみいちゃんがバカだって言いたいの!?」「他人様の子供を障害者扱いかよ!?」と、先生の善意を”侮辱”と受け取ってしまったのです 。彼女にとって、それは世間体を汚される耐えがたい屈辱でした 。
決定的な誤解と、長すぎた不登校
自宅に帰った母親は、怒りが収まりません。「みいちゃんが障害あるとかありえない話!」と、ご近所に聞こえるのも構わず怒鳴り散らします 。その様子を見たみいちゃんは、事態を全く違う形で解釈してしまいました。
彼女は、大好きだった須崎先生が、面談で自分のことを「バカって言われたの!」と思い込んでしまったのです 。さらに、母親の怒りの原因がすべて先生にあると信じ込み、「須崎先生は裏でみいちゃんのことバカだって悪口言ってるんだよ!」と、家族に嘘の報告までするのでした 。
信じていた先生からの「裏切り」。そう思い込んだみいちゃんは、ついに「もうあんな奴がいる学校行かなくていいよ!」と学校へ行くことを完全に拒否します 。その後、須崎先生は校庭で絵を描くみいちゃんに、自分の真意を伝えようと試みます。「私はみいちゃんが特別だと思ったから特別なクラスに行くのを提案しただけ…」と 。しかし、みいちゃんの心には届きません。
そして、その日を境に、
みいちゃんが小学校の門をくぐることは、卒業までの3年間、二度とありませんでした 。
まとめ【みいちゃんと山田さん】11話を読んだ感想
第11話は、あまりにも切なく、やりきれない気持ちになるエピソードでした。みいちゃんという存在が、いかに周囲の無理解と偏見、そしてボタンの掛け違いによって追い詰められていったのかが、痛いほど伝わってきます。
この物語の最大の悲劇は、登場人物の誰か一人が、明確な悪意を持っていたわけではない点にあると感じました。須崎先生の行動は、教育者として非常に誠実で、みいちゃんの将来を真剣に考えた上での最善の提案でした。母親の反応も、世間体を気にするあまりの過剰な防衛本能であり、根底には娘を思う気持ちがあったのかもしれません。そしてみいちゃんの行動は、大好きな先生に「バカ」と言われたと思い込んでしまった、子供ならではの純粋で決定的な誤解から生じています。
それぞれの立場での「正しさ」や「善意」が、最悪の形で衝突し、結果としてみいちゃんを教育の場から完全に引き離してしまった。このやるせなさこそが、この物語のリアルな怖さなのだと感じます。たった一つの誤解が、一人の子供のその後の人生を大きく歪めてしまう。その現実を、まざまざと見せつけられたような気がしました。
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