【関係の終末】37話あらすじから結末まで全てネタバレ解説

【関係の終末】37話をネタバレありで解説する
前話、マサルは「俺達の関係はそれほど深い」という、あまりにも悲しい結論と共に、裏切り者の刃に倒れました。物語の最後を飾る本話では、マサルが夢見た「もしも」の世界と、彼が迎えた残酷な現実の結末が対比的に描かれ、この壮絶な物語に幕を下ろします。
「もしも」の世界、あり得たかもしれない未来
物語は、マサルが思い描いた、あり得たかもしれない「もう一つの未来」から始まります。そこで彼は、スーツを身にまとい、仕事の電話をこなす、成功した一人の社会人です 。そんな彼の前に、かつてのいじめの主犯であるタツヤが現れます 。しかし、そのタツヤは、過去の傲慢な姿とは似ても似つかぬ、後悔に苛まれた男でした 。
彼は、マサルに対して深々と頭を下げ、心からの謝罪の言葉を口にします。「あの時は本当に悪かったよ」「子供だったとはいえ許されないことをした」「いつか会ったら謝りたいと思ってたんだ」 。そして、「お前の気持ちが少しでも楽に…」「一生罪を背負って生きていくよ…本当にごめん…」と、涙ながらに許しを請うのでした 。
その謝罪を受け、マサルの心は救われます。彼は「許すことはできないけど…謝ってくれて少しは楽になれそうだ」と、長年の心のつかえが取れたかのように、穏やかな表情でタツヤに語りかけるのでした 。これこそが、マサルが本当に望んでいた、復讐ではない、魂の救済だったのかもしれません。
打ち砕かれた幻想、変わらない現実
しかし、その穏やかな光景は、無慈悲な現実によって打ち砕かれます。場面は、血まみれのマサルが、現実のタツヤに一方的に殴られている、あの地獄の夜へと引き戻されます 。
現実のタツヤは、マサルの幻想の中にいた後悔する男とは真逆の、何一つ変わらない、独善的で残虐ないじめっ子のままでした。彼は、自身がいじめた理由をこう断言します。
「いじめた理由なんて別にない」 「お前らを見てたら無性に腹が立つんだ それだけのことさ…」
彼にとって、いじめとは理由のない、単なる虫の居所が悪い時の憂さ晴らしに過ぎなかったのです。彼はマサルに「腰抜けらしく生きればいいだろ」と吐き捨て、最後まで反省の色を一切見せることはありませんでした 。
つまらない結末、そして物語の終わり
マサルの意識が薄れていく中、彼を裏切った「悪魔」の一人(ハシラ)が、その一部始終を無感動に眺めていました。マサルの壮絶な人生、長年の苦しみ、そして復讐の果ての死。その全てを見届けた彼が最後に呟いたのは、あまりにも空虚で、残酷な一言でした。
「あの…ちょっとつまんないなぁ」
マサルの悲劇的な生涯は、真の怪物にとって、少し退屈な見世物に過ぎなかったのです。こうして、一人の男の歪んだ「関係」に縛られた人生は、誰に悼まれることもなく、静かに終わりを告げました。
まとめ【関係の終末】37話を読んだ感想
37話で描かれた「もしも」の世界は、読者の胸を締め付ける、あまりにも巧みで残酷な演出でした。マサルが本当に求めていたものが、復讐の果ての死ではなく、たった一言の心からの謝罪だったということが痛いほど伝わってきて、涙が出そうになりました。その美しい幻想を、現実のタツヤの醜悪な本性によって木っ端微塵に打ち砕く構成は、この物語のテーマを完璧に表現していたと思います。
タツヤの「いじめた理由なんて別にない」というセリフは、いじめという行為の、最も恐ろしい真実を突いています。そこに崇高な理由も、複雑な背景もない。ただ、自分より弱い者を見つけて、無性に腹が立つから傷つける。その理不尽さこそが、被害者の心を永遠に蝕む呪いなのだと、改めて感じさせられました。
そして、悪魔の最後の「ちょっとつまんないなぁ」という一言。これほどまでに虚しく、そして恐ろしい結末があるでしょうか。マサルの人生をかけた苦悩と復讐の物語は、彼にとっては取るに足らない、退屈な余興でしかなかった。この一言が、物語全体を支配していた人間の悪意や憎しみすら、真の超越的な悪の前では無意味なのだと突きつけているようで、言いようのない絶望感に襲われました。
救いのない、あまりにも悲劇的な結末。しかし、だからこそ「関係の終末」は、人間の心の歪みとトラウマの恐ろしさを描き切った、忘れられない作品として、読者の心に深く刻み込まれるのだと思います。
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