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【平場の月】ネタバレ解説|あらすじ・結末と感想まとめ

ずっちー

朝倉かすみさんの小説『平場の月』に関する詳細なネタバレ情報を探している方へ。この物語は、50代という人生の大きな節目を迎えた男女の、静かで切実な恋愛と、誰もが直面しうる避けられない現実を描ききった作品です。

主要な登場人物たちがそれぞれどのような人生を歩み、どのような過去を背負ってきたのか、そして運命的に再会した二人のあらすじは、どのように展開していくのでしょうか。

インターネット上では、一部でつまらないという手厳しい感想も見受けられます。しかし、多くの読者が深い共感を寄せるのは、彼らが経験する失敗や拭いきれない後悔、そして病気や死といった重いテーマが、決して他人事ではなく、私たちの人生と深く静かに重なるからなのかもしれません。

この記事では、物語の核心部分、特に多くの方が知りたいであろう結末の場面まで、詳細なネタバレ情報を含めて深く掘り下げて解説します。

この記事を読むと以下のことが理解できます
  • 小説『平場の月』のタイトルの意味
  • 物語の結末までの詳細なあらすじ
  • 「つまらない」と言われる理由の考察
  • 50代の恋愛観に関する読者の感想

平場の月ネタバレ:あらすじと結末

  • 小説「平場の月」が持つ意味とは
  • 物語の主要な登場人物を紹介
  • 50代二人の出会いからのあらすじ
  • 須藤の病気と闘病生活の描写
  • 青砥が須藤の死を知る経緯
  • 須藤の死と残された合鍵という結末

小説「平場の月」が持つ意味とは

『平場の月』という印象的なタイトルには、この作品の根底に流れるテーマが深く込められています。ここで用いられる「平場(ひらば)」という言葉は、何か特別なことが起こる舞台や、華やかな場所ではない、ごく普通の日常的な場所や立場を指し示しています。

作者の朝倉かすみさんは、あるインタビューで、お笑い芸人がネタを披露する専用の劇場以外の、例えばテレビのトーク番組など、いわば「普段の場所」で活動することを指す「平場」という言葉から着想を得たと語っています。つまり、この物語は、スポットライトが当たるようなドラマティックな人生ではなく、私たち多くが生きる「普通」の日常、その中で起こる出来事を描いたものであることが、タイトルから強く示唆されています。

物語の中で、主人公の青砥やヒロインの須藤は、50歳という人生の折り返し地点を過ぎています。彼らは大きな成功を収めたり、華々しい経歴を持っていたりするわけではなく、それぞれが離婚や死別、経済的な苦しさや過去の後悔を抱えながら、「平場」とも言える地味な現実を生きています。

そして「月」は、そんな彼らのありふれた日常を、ただ静かに天から照らす存在として描かれます。それは、二人の間に芽生えたささやかな希望や穏やかな恋愛の象徴であると同時に、満ちては欠けるその姿が、人生の儚(はかな)さや、ままならなさを映し出しているようにも感じられます。

物語の主要な登場人物を紹介

この物語は、主に50代を迎えた二人の男女を中心に、彼らを取り巻く同級生たちとの関係性の中で展開されます。それぞれの背景や性格が、物語に深い陰影を与えています。

登場人物背景・特徴
青砥 健将(あおと けんしょう)50歳の男性で、物語の主人公です。離婚を経験しており、現在は地元の埼玉にある印刷会社で働いています。実家で一人暮らしをしながら、認知症と診断され施設に入所している母の面倒を見ています。優しさはありますが、他者の心の機微に対してやや鈍感な一面も持つ「普通」の中年男性です。中学時代、須藤に告白してフラれた過去があります。
須藤 葉子(すどう ようこ)50歳の女性。青砥の中学時代の同級生です。夫と死別した後、若い男性に貢いで財産を失うなど、波乱の人生を経て地元に戻り、病院の売店でパートとして働いています。非常に芯が強く、他者に頼ることや弱みを見せることを極端に避ける、強い矜持(きょうじ)を持った人物として描かれます。
ウミちゃん青砥と須藤の同級生。地元の情報に精通しており、良くも悪くも噂話が大好きです。彼女の存在が、狭いコミュニティの中での人間関係を象徴しており、物語の中でも重要な情報を登場人物たちにもたらす役割を担います。
安西 知恵(あんざい ちえ)青砥と須藤の同級生(旧姓・橋本)。青砥と同じ印刷会社でパートとして働いており、須藤とも交流があります。物語の終盤において、青砥に対して決定的な情報を伝えることになります。

50代二人の出会いからのあらすじ

物語の幕開けは、主人公の青砥が自身の体の不調を感じ、検査のために訪れた地元の病院です。青砥は、病院内の売店でレジを打つ女性が、中学時代の同級生・須藤葉子であることに気づきます。彼はかつて須藤に告白し、はっきりと断られた過去があるため、再会に気まずさと懐かしさが入り混じった複雑な感情を抱きます。

しかし、この偶然の再会をきっかけに、二人は連絡先を交換することになります。お互いに50歳を迎え、青砥は離婚、須藤は夫との死別を経験し、現在は独り身でした。

二人は、お互いの状況を支え合う「互助会」と称して、次第に会うようになります。彼らが会う場所は、おしゃれなレストランではなく、どちらかの狭いアパートでの「家飲み」が中心です。スーパーで購入した惣菜や缶ビールを片手に、互いの近況や過去を語り合います。

青砥は、須藤が夫を亡くした後、寂しさから若い男に夢中になり、財産をほとんど使い果たしてしまったという壮絶な過去を知ります。一方で須藤も、青砥が抱える家族の問題や離婚の経緯を知り、二人は静かに心の距離を縮めていきます。

中学時代のように「青砥」「須藤」と名字で呼び合いながら過ごす時間は、若い頃の情熱的な恋愛とは異なります。そこにあるのは、多くの失敗や後悔を経てきた大人だからこそ分かり合える、穏やかで「ちょうどいいしあわせ」とでも言うべき安らぎの時間でした。

須藤の病気と闘病生活の描写

二人の穏やかな関係が深まろうとしていた矢先、物語は厳しい現実を突きつけます。須藤もまた、青砥と同じように体の不調を感じて検査を受けており、その結果、彼女に大腸がんが見つかります。

この作品は、彼女の闘病生活を感傷的に美化することなく、非常にリアルに描写していきます。須藤は手術を受け、ストーマ(人工肛門)を造設することが必要とされます。退院後、彼女の生活は一変します。

さらに、術後の補助療法として抗がん剤治療が始まりますが、その副作用に関する描写も具体的です。情報によれば、手足の強い痛みや痺(しび)れ、感覚の麻痺による転倒、そしてその結果としての火傷など、治療が身体だけでなく心にもたらす負担が丁寧に描かれます。

青砥は彼女を献身的に支えようと努め、一時的に自身の家で同居生活を送ることを提案します。須藤も一度はそれを受け入れますが、彼女の生来の「人に頼ることを良しとしない」性格が、二人の間に微妙な壁を作ります。

前述の通り、須藤は他者に迷惑をかけることを極度に恐れています。経済的な不安や、働けないことへの焦り、そして病気に対する将来への絶望感が、青砥の純粋な優しささえも「申し訳ない」という負い目として感じさせ、彼女を精神的に追い詰めていきます。体調が少し回復の兆しを見せると、彼女は「これ以上は迷惑をかけられない」と、すぐに自分のアパートへ戻ってしまいました。

青砥が須藤の死を知る経緯

抗がん剤治療のクールが一通り終了し、須藤は3ヶ月ごとの定期健診を受ける日々を送ります。彼女は青砥の勤務先で派遣社員として働き始めるなど、二人の間には日常が戻ってきたかのように見えました。

青砥は、須藤との関係が再び安定してきたと感じ、病気を乗り越えた彼女とこの先の人生を共に歩みたいと願います。そして、ある日、彼は「一緒にならないか」とプロポーズを試みます。

しかし、皮肉なことに、その日はまさに須藤の定期健診の日でした。そして、その健診でがんの転移が発覚し、自身の余命がもはや長くないことを悟ってしまいます。青砥のプロポーズは、須藤にとってあまりにも残酷なタイミングでした。

彼女は、青砥の言葉を「それ言っちゃ、あかんやつ」と、か細い声で拒絶します。それは、青砥への愛情と、自分の運命への絶望、そして何よりも「これ以上、青砥の人生を自分の病気で縛りたくない」という強い拒絶の意思表示でした。

そして須藤は、「もう会わない」と一方的に別れを告げます。須藤の真意を正確に理解できない青砥は、食い下がりますが、須藤の決意は固く、最終的に「1年はお前の言う通り会わない。でも、1年後に前に約束した温泉旅行に行こう」という、あまりにも儚(はかな)い約束だけを取り付け、二人はそれきり会わなくなります。

青砥は、須藤からの連絡を健気に待ち続けます。カレンダーに印をつけ、LINEを送り続けますが、既読がつくことはありません。そして、約束の1年が経とうとする6月のある日、青砥は職場の同僚である安西から、世間話の延長線上というあまりにもあっけない形で、須藤がすでに1ヶ月以上前の5月3日に亡くなっていたという事実を知らされるのです。

須藤の死と残された合鍵という結末

この物語は、冒頭で青砥が須藤の死を知らされる場面から始まり、そこから二人が過ごした時間が回想されるという構成を取っています。そして、青砥が須藤の死の事実を受け止め、彼女のアパートを訪れる場面が、物語の実質的な結末となります。

青砥は、須藤の妹から彼女の最期の様子を聞かされます。須藤は、病状が悪化していく中で、最後まで「(こんな姿では)青砥に合わせる顔がない」と言い、青砥に連絡することを拒み続けていたといいます。それは、病気で弱り果てた姿を愛する人に見せたくないという彼女なりの矜持(きょうじ)であり、同時に、青砥のこれからの人生に重荷を残したくないという、彼女の不器用で切実な最後の思いやりでした。

須藤の死を受け入れられないまま、青砥は、彼女がアパートのベランダでささやかに育てていた家庭菜園のプランターの土を、何かに導かれるように掘り返します。

すると、土の中から小さな封筒が出てきます。その中には、かつて青砥が須藤に贈ったネックレスと、そして彼が渡していた自分の家の「合鍵」が、大切に仕舞われていました。

須藤が最後まで青砥を思い続け、彼とのつながりを決して手放してはいなかったという証(あかし)を見つけた青砥は、彼女の計り知れないほどの深い愛情と、彼女が最も苦しんでいる時にそばにいてあげられなかった、支えきれなかったという痛切な後悔を胸に、ただ立ち尽くします。二人が願った「ただ一緒に生きられればよかった」という、あまりにもささやかな願いが叶わなかった、深く静かな余韻を残す切ない結末を迎えます。

平場の月ネタバレ:感想と評価

  • 読者の感想と評価まとめ
  • 「つまらない」という感想はなぜか
  • 読者が共感する大人の恋愛観
  • 二人の関係性ともどかしさ
  • 平場の月ネタバレまとめ

読者の感想と評価まとめ

『平場の月』は、読了後に深い印象を残す作品であり、読者からは非常に多くの、そして熱量の高い感想が寄せられています。その評価は、肯定的なものから否定的なものまで多岐にわたります。

最も多く見受けられるのは、「あまりにも切ない」「読み終えてから胸が締め付けられる」「静かに涙が流れた」といった、二人の叶わなかった恋と避けられない結末に対する感傷的な反応です。

特に、主人公たちと年齢が近い50代前後の読者からは、「これは他人事ではない」「自分たちのすぐそばにある現実と重なって苦しい」という強い共感の声が上がっています。物語の中で描かれる、病気への不安、老いへの恐怖、親の介護問題、そして経済的な困窮といった中高年が直面するリアルな問題群が、恋愛というテーマと分かちがたく結びついている点が、高く評価されています。

また、ヒロインである須藤の生き方、特に青砥を拒絶した最後の選択については、読者の間でも意見が分かれます。「彼女らしい潔い生き方だ」「強い女性だ」と肯定的に捉える意見がある一方で、「なぜもっと青砥に甘えてくれなかったのか」「意地っ張りすぎる」というもどかしさや、やりきれなさを感じる読者も少なくありません。

「つまらない」という感想はなぜか

前述の通り、多くの読者の心を掴んだ一方で、この作品に対して「つまらない」「物語に入り込めなかった」「共感できない」といった否定的な感想を持つ読者がいるのも事実です。その理由として考えられる点を、いくつか深く掘り下げてみます。

第一に、物語の展開が終始静かで、大きな事件やドラマティックな起伏が極端に少ないことが挙げられます。全編を通して日常の風景や細やかな心理描写が淡々と続く作風は、エンターテイメントとしてのはっきりとしたカタルシスや、刺激的な展開を好む読者には物足りなく感じられ、「地味だ」「つまらない」という評価につながる可能性があります。

第二に、主人公である青砥の人物像に対するいら立ちや不満です。青砥は、優しさこそ持っていますが、良くも悪くも「ごく普通の中年男性」として描かれています。それゆえに、須藤が抱える病気の深刻さや、死への恐怖、そして女性としての複雑な心の機微に対して、やや鈍感な面が目立ちます。特に、須藤が転移を知らされて精神的に打ちのめされている、まさにその最悪のタイミングでプロポーズをしてしまう場面は、「無神経すぎる」「なぜ気づかないのか」と多くの読者が苛立ちを感じるポイントであり、主人公に感情移入しにくい点が、作品そのものの評価を下げていると考えられます。

さらに、須藤の頑(かたく)なすぎる態度や、二人の決定的なすれ違いが続くコミュニケーション不全の描写も、理由の一つと言えます。お互いを思っているはずなのに、本音を伝えられずにすれ違い続ける展開は、読者にとって大きなストレスとなる場合があり、特に辛い展開や救いのない物語が苦手な読者にとっては、読むこと自体が苦しい作品とも言えるでしょう。

読者が共感する大人の恋愛観

『平場の月』が、否定的な意見を乗り越えて多くの読者の心を深く掴んだ最大の理由は、50代の「大人の恋愛」を、決して美化したり理想化したりすることなく、その現実的な側面をありのままに描いた点にあると考えられます。

この物語で描かれるのは、若い頃のような情熱だけで突っ走る恋愛ではありません。互いに離婚や死別といった「過去の傷」や、親の介護、経済的な不安といった「現在の生活」を重く背負った上で成り立つ、静かで、しかし切実な心のつながりです。

須藤が青砥との家飲みの日々を評した「ちょうどよくしあわせ」という言葉は、本作の核心的なテーマを象徴しています。人生の頂点を目指すような大きな成功や莫大な富ではなく、日常の中にある「スーパーの惣菜と缶ビール」といった、ささやかな瞬間にこそ確かな幸せを見出すという価値観は、人生の酸いも甘いも一通り経験してきた大人だからこそ、深く共感できるものなのでしょう。

また、恋愛が人生の全てを解決してくれるわけではなく、病気や経済問題、老いといった厳しい現実と常に向き合い、時にはその現実に敗北さえするというシビアな視点も、中高年の読者にとっては「おとぎ話」ではない、「自分たちの物語」として、強く心に響く要因となっています。

二人の関係性ともどかしさ

この物語の核となり、読者に最も強い印象を残すのは、青砥と須藤の「もどかしい」としか言いようのない関係性です。二人は間違いなく互いに深く惹かれ合い、人生の後半を共にするパートナーとしてお互いを必要としていたにもかかわらず、最後まで完全に結ばれることはありませんでした。

このすれ違いを生んだ最大の要因は、須藤の特異なまでの矜持(きょうじ)にあります。彼女は、過去の失敗(若い男に貢いだこと)への強い自責の念や、「人に頼らず独りで生きてきた」という彼女なりの人生のポリシーから、青砥に全てを委ね、甘えることを自分自身に禁じてしまいます。彼女にとって、青砥に弱みを見せて頼ることは、これまで自分が築いてきた人生そのものを否定することにもつながりかねない、非常に難しい選択でした。

一方で、主人公の青砥もまた、彼女のその強固な心の壁を乗り越えさせるほどの強引さや、すべてを受け止める覚悟を持ち合わせていませんでした。彼は、須藤の「もう会わない」という言葉の裏にある本心(本当はそばにいてほしいという叫び)を汲み取ることができず、その言葉を真正面から受け止めて身を引いてしまいます。

この二人の決定的な不器用さ、そして臆病さが、読者に対して強烈なもどかしさを感じさせると同時に、物語のどうしようもない切なさを一層際立たせています。「お互いを思いやるがゆえのすれ違い」こそが、この作品の最大の魅力であり、読後に重く、深い余韻を残す理由であると言えます。

平場の月ネタバレまとめ

  • 『平場の月』は50代の男女が再会し、静かな恋を育む物語
  • タイトル「平場」は特別な場所ではない「日常」を意味する
  • 主人公は離婚経験者で50歳の青砥
  • ヒロインは夫と死別した50歳の須藤
  • 二人は病院の売店で偶然再会を果たす
  • 「互助会」と称し、家飲みで仲を深めていく
  • 須藤に大腸がんが発覚し、二人の関係は闘病生活へと入る
  • 須藤は手術を受け、ストーマ(人工肛門)を造設したとされる
  • 青砥は須藤を支えようと同居するが、須藤は頼ることを拒む
  • 抗がん剤治療の副作用などリアルな描写が続く
  • 須藤にがんの転移が見つかる
  • 青砥は須藤の病状の悪化を知らずにプロポーズする
  • 須藤は「それ言っちゃ、あかんやつ」とプロポーズを拒絶
  • 須藤は青砥に一方的な別れを告げ、連絡を絶つ
  • 青砥は1年後、同級生から須藤がすでに亡くなっていたことを知る
  • 須藤は最期まで「合わせる顔がない」と青砥に会わなかった
  • 結末で青砥は、須藤の菜園から合鍵とネックレスを発見する
  • 「つまらない」という感想は、展開の地味さや青砥の鈍感さが理由
  • 50代のリアルな恋愛観や「ちょうどいいしあわせ」という価値観が共感を呼ぶ
  • 互いを思うがゆえの不器用なすれ違いが、物語の切なさを際立たせている
ABOUT ME
コマさん(koma)
コマさん(koma)
野生のライトノベル作家
社畜として飼われながらも週休三日制を実現した上流社畜。中学生の頃に《BAKUMAN。》に出会って「物語」に触れていないと死ぬ呪いにかかった。思春期にモバゲーにどっぷりハマり、暗黒の携帯小説時代を生きる。主に小説家になろうやカクヨムに生息。好きな作品は《BAKUMAN。》《ヒカルの碁》《STEINS;GATE》《無職転生》
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