【思春の森】ネタバレ|衝撃の結末と作品の何が問題となったのか解説

ずっちー

1977年に製作されたイタリア映画「思春の森」は、その過激な内容から現在では入手困難な幻の作品となっています。原題「Maladolescenza」は病んだ思春期を意味し、森を舞台に3人の少年少女が繰り広げる残酷な心理ゲームを描いた問題作です。主人公ラウラと少年ファブリツィオ、そして小悪魔的な少女シルヴィアの関係性が、純粋さと残酷さを併せ持つ思春期特有の感情とともに展開されます。

この映画は児童ポルノ指定を受けて2001年にDVDが回収処分となり、2004年には無修正版の販売で逮捕者が出るなど、社会的な波紋を呼びました。撮影当時12歳以下だったララ・ウェンデルとエヴァ・イオネスコの過激なシーンが問題視され、動物虐待シーンも含まれていることから、現在では正規ルートでの視聴はほぼ不可能な状況です。物語の結末では、夏の終わりを恐れたファブリツィオがシルヴィアを洞窟で刺殺するという衝撃的な展開を迎えます。

この記事で分かること
  • 思春の森の詳細なあらすじと衝撃的な結末の内容
  • 作品が問題視された理由と社会的影響の経緯
  • 現在視聴が困難な理由と各国版の違い
  • 監督の意図と作品に込められたテーマの考察

【思春の森】ネタバレ解説と作品の全貌

  • 主要キャストと登場人物の関係性
  • あらすじと物語の展開
  • ラストシーンで起きる衝撃の結末
  • 問題シーンと社会的な波紋
  • 監督の意図と作品テーマの考察

主要キャストと登場人物の関係性

「思春の森」に登場するのは、わずか3人の少年少女のみという極めて限定的な構成になっています。主人公のラウラを演じたのは当時ドイツの清純派アイドルだったララ・ウェンデルで、彼女は後に「美しき少年エルネスト」(1979年)や「痩せゆく女 欲望の恐怖」(1980年)にも出演しています。

少年ファブリツィオ役のマルティン・レーブは、フランスとドイツで活動していた俳優で、出演作品は4作品程度と少なく、その中では「僕の小さな恋人たち」が比較的知られています。この作品でも少年が性に目覚めていく様子を演じており、同様のテーマを持つ作品への出演が多かったことがうかがえます。

シルヴィア役のエヴァ・イオネスコは、写真家イリナ・イオネスコの娘として5歳から母親の作品のモデルを務めていました。1977年に出版された写真集「鏡の神殿」によってヨーロッパを代表するロリータ・スターとなり、13歳でトップモデルの地位を確立していました。彼女は後年、母親を相手取って損害賠償請求の裁判を起こし、2011年には自身の少女時代を描いた映画「ヴィオレッタ」を監督として制作しています。

物語における3人の関係性は、明確な階級構造を形成しています。ファブリツィオは王様、シルヴィアは女王様、そしてラウラは侍女という立場で、この力関係が物語全体を通じて維持されます。ラウラは毎年夏に別荘を訪れる部外者的存在であり、森を熟知したファブリツィオにとってはアウェイの存在です。一方でシルヴィアは、途中から加わった第三者でありながら、その小悪魔的な魅力でファブリツィオを虜にし、二人の関係性を一変させる触媒的な役割を果たします。

あらすじと物語の展開

物語は、少女ラウラが家族とともに毎年夏に訪れる山荘での出来事から始まります。森に住む少年ファブリツィオと再会したラウラですが、思春期を迎えた今年の彼は以前とは様子が違い、彼女を性的な対象として見るようになっていました。

ファブリツィオはラウラに対して、落とし穴に落としたり、蛇を使った悪戯をしたり、彼女が可愛がっていた小鳥を串刺しにするなど、次第にエスカレートする残酷な行為を繰り返します。それでもラウラは彼についていき、洞窟でキスを交わし、関係を持つまでに至ります。

転機となるのは、金髪の美少女シルヴィアの登場です。森のはずれの別荘に滞在していた彼女にファブリツィオは一目惚れし、ラウラに彼女を連れてくるよう命じます。3人で遊ぶようになると、シルヴィアは王女のように振る舞い、ラウラを完全に侍女として扱うようになります。

二人は弓矢で鳥を射殺する狩りごっこを楽しみ、その残酷な遊びに参加できないラウラが立ち去ろうとすると、今度は彼女を獲物として追いかけ、足元や股間に向けて矢を放つという危険な遊びを始めます。さらにラウラに放尿を強要し、その様子を上から見下ろしながら自分たちも放尿するという屈辱的な行為も行われました。

かくれんぼの最中、ラウラが二人を探していると、ファブリツィオとシルヴィアが性行為をしている現場を目撃します。見つかった二人は開き直り、ラウラの目の前で行為を続け、彼女に見せつけるような態度を取ります。

物語が進むにつれ、ラウラの興味の対象は次第にファブリツィオからシルヴィアへと移っていきます。シルヴィアの櫛で自分の髪を梳かし、彼女と同じように髪を巻き、口紅を塗るシーンは、ラウラが少女から女性へと成長していく象徴的な場面として描かれています。

ラストシーンで起きる衝撃の結末

夏の終わりが近づき、シルヴィアが遠い土地へ帰ることを知ったファブリツィオは、彼女と離れたくないという思いを募らせます。しかしシルヴィアにとってそれは一夏の恋という遊びに過ぎず、彼の真剣な思いを軽くあしらいます。

最後の日、ファブリツィオはシルヴィアを山の洞窟へと誘い込みます。嵐が起こり、洞窟に閉じ込められた状況で、それまで女王様のように振る舞っていたシルヴィアは初めて年相応の怯えた少女の姿を見せます。帰りたいと泣き叫ぶシルヴィアに対し、ラウラは優しく慰めようとします。

しかし、自分のものにならないと悟ったファブリツィオは、最終的にナイフでシルヴィアを刺し殺してしまいます。これは彼女を永遠に自分のそばに置いておく唯一の方法だと考えた末の行動でした。

衝撃的な殺人の後、ラウラはファブリツィオに「一緒に帰りましょう」と優しく声をかけます。しかし精神的に衰弱したファブリツィオはその場に残ることを選び、ラウラだけがその場を立ち去っていきます。

この結末について、様々な解釈が存在します。一見すると被害者のように見えるラウラが、実は最も強い立場にあったという見方もあります。彼女はマゾヒスティックな性質を持ちながらも、二人の関係を冷静に観察し、最終的には彼らを切り捨てる判断を下したとも解釈できます。ファブリツィオの精神的な弱さが露呈し、サディスティックな魅力を失った瞬間に、ラウラは彼への興味を失ったのかもしれません。

問題シーンと社会的な波紋

この映画が問題視された最大の理由は、撮影当時12歳以下だった少女たちの過激なシーンにあります。ララ・ウェンデルとエヴァ・イオネスコは胸部や局部を露出し、激しい性行為のシーンを演じており、これが児童ポルノに該当するとして大きな議論を呼びました。

日本では1979年に東宝東和配給で一般上映され、当時は「オーメン2」との二本立てで公開されていました。1999年の児童買春・児童ポルノ禁止法施行後、2001年秋に修正済みのDVDが発売されましたが、鳥類への動物虐待シーンが問題となり回収処分となっています。

特に問題となったのは、57分53秒から90秒間のシーンで、かくれんぼの末にファブリツィオがシルヴィアと性行為を始め、それを狼狽するラウラに見せつける場面です。日本版DVDではこの部分がカットされていますが、無修正版では性器が明確に映っているとされています。

2004年9月には、輸入された無修正のドイツ版DVDを国内で販売した者が児童ポルノ法違反で逮捕される事件が発生しました。修正済みの日本版VHSやDVDについては流通していた時期もありましたが、現在では正規ルートでの入手はほぼ不可能な状況となっています。

ヨーロッパでも上映中止となる都市が相次ぎ、ドイツでは2006年のカールスルーエ地方裁判所の決定により無修正版の回収が命じられました。ただし、オーストリアでは現在も合法的に流通しているという情報があります。

動物虐待のシーンも大きな問題となっています。作中では実際に鳥を弓矢で射殺するシーンが撮影されており、映画のために動物が殺されたことが明確に分かる内容となっています。これは現代の動物愛護の観点からも許容されない行為であり、作品の評価を著しく下げる要因となっています。

監督の意図と作品テーマの考察

監督のピエル・ジュゼッペ・ムルジアは作家でもあり、この映画は彼自身の短編小説を映画化したものです。原題の「Maladolescenza」が示すように、病んだ、あるいは邪悪な思春期を描くことが作品の主要なテーマとなっています。

ムルジアが描こうとしたのは、思春期特有の残酷性と純粋さが混在する複雑な心理状態だったと考えられます。子供たちが持つ残虐性を「遊戯」として取り込んでしまう柔軟さ、あるいはプライドの未成熟さが、この映画の核心部分を形成しています。

作品全体を通じて、美しい自然の風景と残酷な行為のコントラストが印象的に描かれています。ピッポ・カルーソによる音楽も、繊細なメロディーで思春期の不安定な心理を表現しており、映像と音楽の対比が作品に深みを与えています。

興味深いのは、物語の視点が次第に移行していく構造です。最初はラウラが中心でしたが、次第にシルヴィアへ、そして最終的にはファブリツィオの内面へと焦点が移っていきます。これは思春期における力関係の流動性や、感情の移ろいやすさを表現する手法として機能しています。

監督は子供だけの閉じた世界を描くことで、大人の介入や社会的規範から切り離された純粋な人間関係の残酷さを浮き彫りにしようとしたのかもしれません。登場人物が3人に限定され、親や他の友人の存在が一切描かれないことで、この隔離された世界の異常性がより際立っています。

思春の森ネタバレから読み解く映画の深層

  • 現在の視聴方法と入手困難な理由
  • 海外版と日本版の違いと修正箇所
  • 評価が分かれる理由と批評の視点
  • 類似作品との比較と位置づけ
  • 出演者のその後と関連エピソード
  • 思春の森ネタバレを踏まえた作品の意義

現在の視聴方法と入手困難な理由

「思春の森」を現在視聴することは極めて困難な状況にあります。2001年のDVD回収以降、正規ルートでの入手はほぼ不可能となっており、レンタルビデオ店での取り扱いも終了しています。

かつては渋谷のTSUTAYAのVHSコーナーで準新作扱いでレンタルされていた時期もありましたが、現在ではその取り扱いも終了しています。ヤフオクなどのオークションサイトでは、2023年2月から3月にかけてDVDが出品され落札された記録がありますが、これらは修正済みの日本版であり、それでも出品者は法的リスクを負う可能性があります。

入手困難となった主な理由は、児童ポルノ法の施行と強化にあります。1999年の法律施行後、この作品は児童ポルノに該当する可能性が高いと判断され、メーカーによる自主回収が行われました。さらに2004年の無修正版販売による逮捕事件が、この作品の取り扱いをより慎重にさせる結果となりました。

インターネット上では英語字幕版が流通しているという情報もありますが、これらは違法アップロードである可能性が高く、ダウンロードや視聴は法的リスクを伴います。個人輸入についても、無修正版は児童ポルノ法に抵触する可能性があるため推奨されません。

現実的な視聴方法としては、過去に正規に販売されたVHSやDVDを所有している個人から借りるか、海外の映画祭などで特別上映される機会を待つしかない状況です。ただし、そのような機会も極めて稀であり、事実上この作品は封印された状態にあると言えます。

海外版と日本版の違いと修正箇所

「思春の森」には複数のバージョンが存在し、それぞれ収録時間や内容に違いがあります。原版は117分とされていますが、これは一度も公開されていない幻のバージョンです。

各国で公開されたバージョンには、72分版、78分版(1977年/英・独)、79分版(1979年/日本)、81分版(1980年代/ドイツ)、91分版(2004年/ドイツ)、93分版(1977/2003年/イタリア)、94分版(日本・フランス・イタリア)が存在するとされています。

日本版の最も大きな修正箇所は、前述の57分53秒から90秒間のシーンです。このシーンではエヴァ・イオネスコの性器が明確に映るため、日本版では完全にカットされています。それ以外にも、過激な性的シーンには修正が加えられ、局部にはモザイク処理が施されています。

2004年にドイツで編集された91分版は「無修正完全版」として販売されましたが、これもPALマスターの時間であり、実際の内容には諸説あります。このバージョンはドイツ、オーストリアをはじめとする欧州諸国で販売されましたが、ドイツでは2006年に回収命令が出されています。

興味深いことに、各バージョンで編集の仕方が異なるため、ストーリーの印象も変わってきます。短いバージョンでは残酷なシーンが強調される傾向にあり、長いバージョンでは心理描写により時間が割かれているという指摘もあります。

日本で1979年に劇場公開された際は、当時の映倫基準に従って修正が加えられていました。この時代の日本はまだ児童ポルノに関する法規制が緩かったため、現在では考えられないような内容でも一般公開が可能でした。

評価が分かれる理由と批評の視点

この作品に対する評価は極端に分かれており、「ただのロリータ映画」という批判と「思春期を見事に表現した芸術作品」という評価が並立しています。

批判的な意見としては、映画評論家の双葉十三郎氏が雑誌「スクリーン」の「ボクの採点表」で40点という異例の低評価を付けたことが知られています。通常60点以上の評価が多い中での40点は、作品の質に対する厳しい評価を示しています。

批判の主な論点は、作者が何を表現しようとしたのかが不明確であること、無意味な暴力や動物虐待が描かれていること、そして能天気なBGMが内容とミスマッチであることなどが挙げられます。さらに、少年の心理が最後まで明確にならず、彼が本当に求めていたものが不明なまま終わることも批判の対象となっています。

一方で肯定的な評価をする人々は、子供の持つ残虐性と純粋さを同時に描いた点を評価しています。思春期という原色では表せない複雑な時期を、美しい自然と残酷な行為の対比で表現した手法は、芸術的価値があるという意見もあります。

低予算ながらコンセプトがしっかりしており、ドラマとしての完成度は決して低くないという評価もあります。特に、一見被害者に見えるラウラが実は最も強い立場にあったという解釈は、作品に深みを与える要素として評価されています。

作品の受け取り方は、観る者の価値観や経験によって大きく左右されます。児童保護の観点から見れば許容できない作品である一方、1970年代のヨーロッパ映画の文脈で見れば、タブーに挑戦した実験的作品として位置づけることも可能です。

類似作品との比較と位置づけ

「思春の森」と比較される作品として、まず挙げられるのがウィリアム・ゴールディングの小説を原作とした「蝿の王」です。両作品とも子供だけの閉じた世界で展開される残酷な物語という共通点があります。

「蝿の王」では無人島に漂着した少年たちが次第に野蛮化していく様子が描かれますが、「思春の森」では最初から残酷性が存在し、それが性的な要素と結びついている点が異なります。また、「蝿の王」が集団心理を扱っているのに対し、「思春の森」は3人という最小限の人間関係に焦点を当てています。

近年の作品では「隣の家の少女」(2007年)との比較も興味深いものがあります。この作品も子供への残酷な虐待を描いていますが、大人が主導する虐待である点で「思春の森」とは性質が異なります。「思春の森」の残酷性はあくまで子供の遊びの延長線上にあり、その点でより不気味さを感じさせます。

大林宣彦監督の作品群も比較対象として挙げられることがあります。大林作品にも少女の裸体が登場することがありますが、それらは詩的で幻想的な文脈で使用されており、「思春の森」の生々しい描写とは大きく異なります。

「悪い種子」(1956年)や「危険な遊び」なども、サイコパス的な子供を描いた作品として比較されます。ただし、これらの作品には大人が登場し、子供たちは大人の前では良い子を演じるという二面性が描かれています。「思春の森」には大人が一切登場せず、子供たちの本性がむき出しになっている点が特徴的です。

1970年代のイタリア映画という文脈では、この時期のイタリアは過激な表現に寛容で、ホラーやエロティックな要素を含む実験的な作品が多く製作されていました。「思春の森」もそうした時代背景の中で生まれた作品として位置づけることができます。

出演者のその後と関連エピソード

主演のララ・ウェンデルは、この作品の後も女優として活動を続けました。1979年の「美しき少年エルネスト」では一人二役を演じ、1980年の「痩せゆく女 欲望の恐怖」では特殊メイクで太った少女から痩せていく役を演じています。しかし、日本のWikipediaには10作品程度しか記載されておらず、その後の詳細な活動は不明です。

エヴァ・イオネスコのその後は最も注目を集めています。彼女は2012年に母親のイリナ・イオネスコを相手取り、子供時代のヌード写真撮影と出版について20万ユーロの損害賠償と写真の返却を求める裁判を起こしました。

この裁判に関連して、イリナ・イオネスコの過去の発言が話題となりました。彼女は「子供は5、6歳にもなればセクシュアリティを知る必要がある」と述べ、自身が11歳でピアノ教師から性的な行為を受けたことを「発育に役立った」と語っていたという記録が残っています。

エヴァは2011年に自伝的映画「ヴィオレッタ」を監督として制作し、自身の少女時代の苦痛な体験を映画化しました。この作品について彼女は「子供時代の苦痛な出来事について、ずっと書きたいと思っていた」と語っています。

興味深いことに、エヴァの映画デビュー作はロマン・ポランスキー監督の「テナント/恐怖を借りた男」でした。ポランスキーは翌年、13歳の少女への性的虐待容疑で逮捕されており、エヴァを取り巻く環境の問題性を示唆しています。

ファブリツィオを演じたマルティン・レーブについては情報が少なく、海外のサイトでも4作品程度の出演歴しか確認できません。その中では「僕の小さな恋人たち」が比較的知られていますが、彼もまた性的なテーマを扱った作品への出演が多かったようです。

これらの出演者たちの経歴を見ると、1970年代のヨーロッパ映画界において、未成年者が過激な役柄を演じることが珍しくなかった時代背景が浮かび上がってきます。

思春の森ネタバレを踏まえた作品の意義

  • 1977年製作のイタリア映画で原題は「Maladolescenza」(病んだ思春期)
  • 登場人物は少年ファブリツィオと少女ラウラ、シルヴィアの3人のみ
  • 森を舞台に展開される残酷な心理ゲームと性的な要素が特徴
  • 撮影当時12歳以下の少女たちの過激なシーンが問題視された
  • 2001年にDVDが回収処分、2004年には無修正版販売で逮捕者が出た
  • 日本では1979年に劇場公開されたが現在は視聴困難
  • 原版117分から各国で72分から94分まで様々なバージョンが存在
  • 日本版では57分53秒からの90秒間がカットされている
  • 実際の鳥を殺す動物虐待シーンも問題となった
  • 最終的にファブリツィオがシルヴィアを刺殺する衝撃的な結末
  • エヴァ・イオネスコは後に母親を訴え自伝的映画を制作
  • 思春期の残酷性と純粋さを同時に描いた問題作として評価が分かれる
  • 子供だけの閉じた世界で人間の本性を描いた実験的作品
  • 1970年代ヨーロッパ映画の過激な表現の一例として歴史的価値がある
  • 現在では児童保護の観点から封印された幻の作品となっている
ABOUT ME
コマさん(koma)
コマさん(koma)
野生のライトノベル作家
社畜として飼われながらも週休三日制を実現した上流社畜。中学生の頃に《BAKUMAN。》に出会って「物語」に触れていないと死ぬ呪いにかかった。思春期にモバゲーにどっぷりハマり、暗黒の携帯小説時代を生きる。主に小説家になろうやカクヨムに生息。好きな作品は《BAKUMAN。》《ヒカルの碁》《STEINS;GATE》《無職転生》
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