【兄だったモノ】59話あらすじから結末まで全てネタバレ解説

- 鹿ノ子は、聖の心象風景である「奈落の国」で、顔を失った聖と対峙した。
- 聖は、「誰も本当の自分を見てくれない」という絶望を告白した。
- 鹿ノ子は、自らの醜い感情も認めつつ、それでも「聖の全てを知りたい」と、本心からの愛を叫んだ。
- 鹿ノ子の告白によって、聖の心の闇は晴れ、二人は現実世界の比婆山へと帰還した。
【兄だったモノ】第59話をネタバレありでわかりやすく解説する
聖の心の闇、「奈落の国」から生還した鹿ノ子。悪夢のような一夜が明け、二人が目を覚ました場所は、彼らの旅の目的地であり、そして日本の神話の舞台でもありました。今回は、死の淵から黄泉帰った二人の、新たな旅の始まりが描かれます。
黄泉帰り
悪夢の終わりと世界の再開
物語は、比婆山の山中で鹿ノ子が目を覚ます場面から始まります。隣には、気を失ったように眠る聖の姿がありました。 「聖さん 起きて!」。 鹿ノ子の声で目を覚ました聖。しかし、彼の様子はどこかおかしく、昨夜の出来事を「酷く長い悪い夢を見とったような…」と、曖昧にしか覚えていませんでした。 気がつくと、あれほど暗かった空は明るさを取り戻し、二人の傍にいたはずの謎の少年「ゴンちゃん」の姿も、どこにもありませんでした。
神話の舞台
二人が倒れていた場所は、登山道の途中ではありませんでした。なんと、山頂にある、苔むした巨大な岩――女神・伊邪那美(いざなみ)の「御陵」と伝えられる場所だったのです。 聖は、日本神話の物語を語り始めます。亡くなった妻・イザナミを追って、夫・イザナギは黄泉の国へと向かう。しかし、そこで変わり果てた妻の姿を見てしまい、禁を破ったことで、二人は永遠に袂を分かつことになった、と。 「変わり果てた姿を愛する人に見られたくない…」。 兄・騎一郎がこの場所にこだわり、来たがっていた理由が、ようやくわかった気がする、と聖は静かに呟くのでした。
新たな旅の始まり
聖は「今日はもう降りよっか」と、下山を提案します。鹿ノ子は、もう一度あの子(ゴンちゃん)に会えるだろうか、とぼんやり考えていました。 そんな彼女の様子を見て、聖は「そりゃまるで嫉妬してくれとるみたいじゃ」と、からかうように笑います。さっきは強引にキスまでしてきた癖に、と。その表情は、これまでの彼が浮かべていた、どこか寂しげなものとは全く違う、穏やかで、そして少し意地悪な、年相応の青年のものでした。
「よしよし 比婆山編はこれにて終わり!」。 聖はそう言って、鹿ノ子の頭を撫でます。そして、彼は次の目的地を、高らかに宣言するのでした。 「山と来たら次は海じゃろ!」「我が広島の誇る!日本三景の一つ!宮島!」。 死を覚悟した二人の旅は、終わりではなく、新たな始まりを迎えようとしていました。
【兄だったモノ】59話を読んだ感想(ネタバレあり)
今回は、悪夢のような展開から一転、希望の光が差し込むような、爽やかな読後感の回でした。 二人が目覚めた場所が、イザナミの御陵だったという展開には、鳥肌が立ちました。黄泉の国から生還したイザナギのように、聖さんと鹿ノ子ちゃんもまた、心の「黄泉の国」から帰ってきた。そう考えると、この場所は二人の再生を象徴しているのかもしれません。
そして何より、聖さんの変化。あの屈託のない笑顔は、本当に反則です。これまでの、いつ壊れてもおかしくないような儚い彼とは、まるで別人。鹿ノ子ちゃんの愛が、彼の心を救ったのだと、はっきりと分かるシーンでした。嫉妬をからかったり、強引なキスを指摘したり、二人の間にようやく対等で、甘酸っぱい空気が流れ始めたことに、胸が熱くなりました。 死の旅路だったはずの逃避行が、宮島デートへと変わっていく。この先の展開が、ただただ幸せなものであることを、心から願わずにはいられません。
【兄だったモノ】59話のネタバレまとめ
- 聖と鹿ノ子は、比婆山の山頂にある、女神・伊邪那美の御陵で目を覚ました。
- 聖は昨夜の出来事を「悪い夢」としか覚えておらず、謎の少年「ゴンちゃん」も姿を消していた。
- 聖は、兄・騎一郎がこの場所に来たがっていた理由が、イザナギとイザナミの神話に深く関係していると語る。
- 聖の様子は、以前とは打って変わって明るく、前向きになっていた。
- 彼は、比婆山での旅を終え、次の目的地として宮島へ行くことを提案した。
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