【兄だったモノ】71話あらすじから結末まで全てネタバレ解説

- 聖のモノローグで、彼が兄・騎一郎に殴られたことで、初めて「愛」を実感したという、歪んだ過去が明かされた。
- 謎の少年「ゴンちゃん」が再び現れ、聖に取り憑いていた呪いの正体が、聖自身の「死にたい」という願いであったことを暴露する。
- 鬼頭虎次郎は、鹿ノ子の恋が「健全ではない」と指摘する。
- 物語の最後、一人になった聖の前に、亡き兄・騎一郎の幻影が現れた。
【兄だったモノ】第71話をネタバレありでわかりやすく解説する
「死のうと思っていた」――。物語は、太宰治の小説の一節から始まります。夏に着る着物をもらったから、夏まで生きようと思った。その言葉は、ずっと死にたいと願いながら、生きる理由を探し続けていた聖の人生そのものでした。宮島の宿で、ついに彼の口から、すべての真実が語られます。
死のうと思っていた
生きる理由を探す日々
聖の告白は、彼が叔父に性的虐待を受けた、あの日に遡ります。「あの巖からずうっと死のうと思っとった」。しかし同時に、死ぬのが怖かった。だから、死ななくてもいい理由をずっと探していた、と彼は語ります。 彼が多くの人間と関係を持ったのも、一種の自傷行為でした。自分自身のことが大嫌いだから、こんな自分を好きになる人間はみんな嫌いだった。「馬鹿じゃなかろうか」「死んでしまえ」。そうやって、彼は他人を傷つけることで、かろうじて心の均衡を保っていたのです。
騎一郎という罰
そんな彼の人生を変えたのが、兄・騎一郎でした。自分なんかを愛してしまう、初めて現れた「そんな人」。 騎一郎が病気になったと聞いた時、聖は怖くなりました。彼を失うことが。東雲の家に盗られてしまうことが。 だから、自死騒ぎを起こして彼を家に縛り付けた。まるで井伏鱒二の小説『山椒魚』のように、逃げられないよう、自分の家に閉じ込めたのです。
そして、聖は最期の我儘を口にする騎一郎に乞われます。 「俺の首を絞めて」。 苦しみから解放してほしい、と。その願いを聞き入れたことこそが、聖が鹿ノ子に語る、最後の罪の告白でした。
嫌われたかった
聖は、鹿ノ子に対する本当の気持ちも、語り始めます。 「本音を言うと…最初は嫌いだったんよ」。 あまりにも騎一郎に似ている彼女を、最初は無茶苦茶に傷つけてやろうと思っていた。しかし、彼女もまた、自分と同じ「愛に飢えた子ども」だと気づいてしまった。 だから、聖は決めたのです。 「嫌われたかった」「あの子に」。 自分のような人間に関わって、不幸になってほしくない。心の底から軽蔑して、嫌い抜いてほしかった。それが、彼なりの歪んだ愛情表現でした。
その告白を聞いた鹿ノ子。彼女が手に取ったのは、割れたガラスの破片でした。 そして、「はなっしなさいよー!」と叫びながら、その刃を聖へと振り下ろすのでした。
【兄だったモノ】71話を読んだ感想(ネタバレあり)
今回は、聖さんの口からすべての真実が語られる、あまりにも壮絶な回でした。彼のこれまでの奇行や残酷さの全てが、幼少期に受けた性的虐待と、そこから生まれた強烈な自己嫌悪に起因していた。その事実に、ただただ胸が締め付けられます。 騎一郎との関係性も、単なる恋愛ではなく、互いの傷を舐めあう共依存の極致だったのですね。そして、最期は彼の手で…。「山椒魚」のモチーフが、これ以上ないほど悲しく、美しく響きます。
鹿ノ子ちゃんに対する「嫌われたかった」という告白も、あまりにも切ないです。彼は、彼女の中に自分と同じ影を見たからこそ、自分と同じ地獄に堕ちてほしくなかった。突き放すことでしか、愛を示すことができなかった。その不器用さに、涙が出そうになりました。 最後の、鹿ノ子ちゃんが聖さんを刺そうとするシーン。彼女の行動は、あまりにも重い真実を突きつけられた、魂の叫びなのでしょう。これは憎しみか、それとも愛情の裏返しか。二人の関係は、ついに破滅的なクライマックスを迎えてしまいました。
【兄だったモノ】71話のネタバレまとめ
- 聖は、幼少期に受けた性的虐待が原因で、ずっと自殺願望を抱えていたことを告白する。
- 彼のこれまでの無軌道な行動は、全てが自己嫌悪からくる自傷行為だった。
- 兄・騎一郎のことは心から愛していたが故に、病気の彼を家に縛り付け、最期は彼の願いを聞き入れ、その手で命を絶った。
- 鹿ノ子に対しては、自分と同じ「愛に飢えた子ども」だと気づき、彼女を自分のような人間から遠ざけるために、わざと「嫌われよう」としていた。
- 全ての告白を聞いた鹿ノ子は、ガラスの破片で聖に襲い掛かった。
◁前の記事はこちらから

▷次の記事はこちらから



