【兄だったモノ】80話あらすじから結末まで全てネタバレ解説

- 物語の冒頭で、登場人物たちがそれぞれに抱く、矛盾した「東雲騎一郎」像が語られた。
- 僧侶の頼豪は、聖に起きていた超常現象が、聖を殺そうとする呪い(トゥルパ)と、彼を助けようとする兄・騎一郎の魂(ゴンちゃん)の、二つの存在が干渉し合った結果であるという仮説を立てた。
- 鹿ノ子は、聖を救うためには、まず兄・騎一郎の真実を知る必要があると決意する。
- 一行は全ての謎を解き明かすため、物語の始まりの地である広島へと向かうことを宣言した。
【兄だったモノ】第80話をネタバレありでわかりやすく解説する
「やみくもに広島に行っても意味がありません」――。頼豪の言葉通り、一行はただ広島へ向かうのではありませんでした。兄・騎一郎の「本当の顔」を知るために。彼の遺した日記を、その手に携えて。今回は、日記に綴られた、兄の衝撃的な本性が明らかになります。
塩の柱
兄が遺した日記
物語は、広島へ向かう新幹線の中から始まります。鹿ノ子は、広島で手に入れた兄の日記を、カンナ、西迫、そして犬上と共に読んでいました。 頼豪は、騎一郎が生前、多種多様な「東雲騎一郎」を演じて生きていたのではないか、と仮説を立てます。家族、友人、恋人に見せる、それぞれの仮面。その仮面の数が、彼の場合はあまりにも多い、と。 そして、頼豪はカンCナに、最悪の可能性を告げていました。「アレは…死後もなお仮面を被り続けた」。 呪いの正体は、兄が死後も被り続けた「仮面」である、と。その仮説の真偽を確かめるため、鹿ノ子たちは日記を読み進めます。
日記に綴られた真実
日記に綴られていたのは、鹿ノ子の知らない、兄の苦悩と歪んだ愛情でした。 彼は、壊れてしまった家族の中で、唯一の癒やしであった妹・鹿ノ子を、心の底から愛していました。しかし、聖と出会い、彼の中に自分と同じ「飢え」を見出します。 「中眞聖は俺の鏡だ」。
彼は、聖に自分自身を投影し、彼を支配することで、自らの孤独を埋めようとしていたのです。 日記には、西迫を殴りつけた日のことも、克明に記されていました。「俺はこんなにも醜い」。彼は、自らの暴力性を自覚していました。 そして、病に侵され、死期が近いことを悟った彼は、最後の計画を立てます。 「俺は化け物になろう 聖のために」。 「俺のために聖は人殺しになってくれるだろうか」。 彼は、聖に自分を殺させることで、永遠に彼の心に残り続けようと画策していたのです。
【兄だったモノ】80話を読んだ感想(ネタバレあり)
今回は、涙なしには読めない、あまりにも悲しい回でした。兄・騎一郎の独白という形で、彼の苦悩と狂気が、痛いほど伝わってきました。 彼が聖さんに見出したのは、愛ではなく、自分自身の写し鏡だったのですね。そして、その鏡を自分の思い通りに支配しようとする、歪んだ愛情。彼の行動は決して許されるものではありませんが、その根底にあったのが、機能不全家族の中で育まれた、絶望的なまでの孤独と愛情への飢餓だったと知ると、一概に彼を責めることができなくなってしまいます。
そして、最後の「俺のために聖は人殺しになってくれるだろうか」という一文。これは、この物語の全ての謎を解き明かす、最悪の答えでした。聖さんが騎一郎の最期を看取った、あの行為。それは、聖さん自身の意志ではなく、騎一郎によって巧みに仕組まれた、最後の「儀式」だったのかもしれません。 「塩の柱」というタイトルは、旧約聖書で禁を破って後ろを振り返り、塩の柱になってしまったロトの妻の物語から来ているのでしょう。過去に囚われ、振り返ってしまった者は、決して前に進むことはできない。騎一郎も、聖さんも、そして鹿ノ子ちゃんもまた、過去という名の塩の柱に、縛られているのかもしれません。
【兄だったモノ】80話のネタバレまとめ
- 広島へ向かう新幹線の中、鹿ノ子たちは、兄・騎一郎が遺した日記を読み進める。
- 頼豪は、聖に取り憑いていた呪いの正体が、騎一郎が死後も被り続けていた「仮面」であるという仮説を立てていた。
- 日記には、騎一郎の鹿ノ子への純粋な愛情と、聖への歪んだ支配欲、そして自らの暴力性への苦悩が綴られていた。
- 騎一郎は、自らの死期を悟った後、聖に自分を殺させることで、永遠に彼の心を縛り付けようと計画していた。彼の死は、事故や病死ではなく、聖を共犯者にするための、仕組まれた「自殺」だった。
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